人生100年と言われる時代、わたしは50代で『エンディングノート』を準備しています。
『終活』という言葉は2010年の雑誌の特集で生まれたらしく、それから世の中にじわじわと浸透していき最近では20代の若者でさえ知るほどになりました。
その新しく生まれた言葉は「人生の終わりのための活動」のことだと聞くけれど、わたしは『終』が入っているイメージがあまり好きではなくて、『生前整理』の方が残していく家族への想いが乗っかっている感じがして好きです。
わたし自身「人生いつ何が起こるかわからない」と考えはじめたのは1995年に起きた『阪神淡路大震災』でした。
当時はまだ25歳だったけれど、被災地神戸に住んでいたので「命は永遠ではない」ことをまざまざと思い知った出来事でした。
その頃はまだ物は沢山所有していた方がいい、裕福の証だと思わされていた時代だったので『執着している物が多い』ことは果たして安心感につながっているのか?
心は満たされているのか?と疑問に思えました。
考える負担を減らす
『物が多い』『やることが多い』など思考が常にフル回転していると頭が疲れます。
頭がチャカチャカと素早く回ってくれている時はいいですが、疲れたらテキメンに思考力は落ちて忘れっぽくなってしまって。
思考力は加齢とともに徐々に落ちてきて、覚えておくことがストレスにもなっていきます。
だから考えることを少なくするために身の回りはスッキリと。
所有物は最低限に、お気に入りのものだけに囲まれて暮らしたい。
将来考えなければいけないことも「今できること」からやってしまおう。
最近は常にそう思って暮らしています。
だから今を楽しみながら『生前整理』をしている生活を記録としてブログに残しておきたいと思いました。
世の尊敬するミニマリストさんたちのようにストイックには程遠いし、元々の性格は収集マニアだったりするんです。
昔は好きな物を集めてはコレクター気取りでした。
でも全ての物に愛情は注げない。
中には放ったらかしのままで記憶にも残っていない物の立場になったら悲しすぎる......と思うのです。
記憶が不安なら記録に残す
生前整理の一環として『墓じまい』も経験しました。
生前整理をしながら、これからは1日1日を大切に生きてみたいと思いました。
50代になると若かった頃のように記憶に自信がありません。
大きな出来事はしっかりと記憶に残っても、なんとなく考えたことや、なんとなく行動したことってすぐに忘れてしまう。
それはとても残念に感じます。
なので将来の自分のために整理したことや娘に伝えたいことをブログに残すことで、きっと書いていて良かったと思える日が来てくれるのではないかしら......。
なので少しずつ生前整理をしながら、記録に残したいと思います。